ぼくは長嶋ジャイアンツが最下位になったとき生まれた

 阿部の「電脳空間のジーザス・クライスト」とはいったいどんな内容のものなのであろうか。考えるだに恐ろしく、おそらくはぼくの人生のうちで、それはおおきなおもいテーマとして圧し掛かってくるものにはちがいはないのだ。あー、これには絶好のテキストとして『シリアルエクスペリメンス・レイン』があてはまることは、まずまちがいなかろう。

 さて、おかしなもので今日がぼくの30歳の誕生日である。今日倉庫から昔書き散らした断片を、東京に向かう前に取りまとめたお手製の冊子をほこりだらけのぼろぼろの車庫で、懐中電灯をかざしながら、もちろんぼくは非常に喉が弱いので渋谷の映画館で『百一夜』を観たときに、これがぼくが上京後はじめて観た映画とあいなったわけではありますが、ともかくその女物のハンカチーフをしっかり、この陸の孤島から毎秒毎分噴射され続けている穢れきったおぞましい粉塵を防備しながら、慎重に捲っておりますと、2000年には死んでいるオレという文字がこのまなこにとびこんできたのであります。

 しばらくたって、ぼくは横に閉ざされているアルミサッシの引き戸を開けてみようかどうか、そこでひさしぶりにおもいたったわけです。ぼくはまえの日記で述べましたとおり、原付の免許しかもっていないのではありますが、じつは無免許で何度も、この先にあるトヨタマークⅡを、深夜こっそり、うちの実家の蒲団屋で寝たきり生活を送っているジイサンを乗っけて、村はずれの記念病院まで配送しているのです。その病院長とうちのジイサンは昔からよく付き合いがあったらしく、ぼくはいつも深夜営業のレストランでくだらない雑誌なんかをコンビニで山と抱えるほど買い込んでは時間をとにかく無駄に捨てることで、そのジイサンと病院長の会合があわるのをまっているのですが、今日誕生日プレゼントということで、まあこうして毎夜毎夜、雨の日も風の日もきっちり定刻どおり、一分一秒と時間をロスもせずに送り迎えをしているのですから、まあ当然の、いや、値段のほどはそうみあってもおりませんが、最新型のノートパソコンを頂きまして、いまこうしてぶらぶら退屈に田舎のくだらないしけた商店街を散策するぐあいに、指のおもむくがままにキーボードを撃ち鳴らしているのです。

 その閉ざされたままになっている、えらく醜いその戸の先には、くだらない人生を生きたうちのジイサンの死体があるのです。あとはアナログTVを撮りためたヴィデオテープが、その周囲をグルッと一周何段にも層を分けてうずたかくつもって、白のマークⅡを、まるで冷えた溶岩でできた自然の穴ぼこに突き落としてしまった具合になっているのです。ですからぼくはえらくながいあいだ、その戸の前に立ち尽くしていました。それは傍目からみれば、パウロⅡ世が嘆きの壁で永遠を思わすほど永く尊く立ち尽くしていたのにも通じるものがあったかもしれませんし、またこの戸の先のうずたかく積もる黒光りしたヴィデオテープの山の一角を発掘さえすれば、そのときのヴィデオ映像が拝めるのかもしれませんが、日々の労苦に励んでいる町の衆は、だれひとりとして興味をしめさないであろうし、所詮はカーネル・サンダースとでも見間違えて、陽気にこちらに手をふって、「よっ! ヒサシブリ! 元気してたかい?」なんていうくだらない挨拶をしながら、ただたんに他人の家の事情をただただ覗き見したいだけのスケベ根性で、そら携帯が鳴り出しでもすれば、驚喜して、振り向いてその満面の小学校の運動会のとき、かれがみせたファイナル・ランさながらに、さわやかに駆け抜けおおせて、一等でテープを、その張り出した胸できり、係りのおばさんの賞賛の賛辞を無視したときのニヤケ面をここに再現するのが、そもそもオチでありましょうから。

 などどうつつをのべている矢先にぼくの携帯電話が鳴り出してしまった。
「もしもし」それは音信不通になっていた妻からだった。妻とは東京で出会い、そのまま住んでいた浅草のアパートで学生結婚しようかと、セックスをするたびに明るく語らっていたのだが、どうやらとてもいそいでいるらしく、ものすごい勢いでまくしたててくるのだ。