ぼくは一週間ダンボールいっぱいのミカンだけで外に一歩もでなかった

 湘南でなんかしらないけど連れられて、よくわかんない映画のカメラとか手伝ったなあ。いい思い出だなあ。ちかくに結核療養所みたいな施設があって、なんか帰り際に500円玉拾ったりね。ソクーロフと渋谷でタクシーに乗り込むとこ捕まえて、窓越しに握手したなあ。いい思い出だなあ。劇場のドアの隙間から蓮実重彦の眼がチラチラ光って見えたっけ。かなりたってから『愛の世紀』も日比谷シャンテに観にいったなあ。広末涼子も『黒猫・白猫』ここで観たのかなあ。『共同生活』みたいな小説書いてたけど、あれどこいっちゃったのかなあ。
 浅田彰の講演を早稲田に観にいったんだっけ。というかあれは偶然だったんだけどもね。なにしにいってたのかな。なにかのゼミナールの展示を観に出かけていたのでしたっけ。なんか馬鹿馬鹿しいことがたくさんあったなあ。
 どうして「ロベール・ブレッソン」特集上映観にいかなかったのかなあ。当日券あったのかなあ。『バルタザールよ、どこへ行く』がアテネで観れたから善しとしたほうがいいのかなあ。なんかいろいろ映画観たんだっけなあ。『日曜日の人々』とか『非情の時』とか『恐怖のまわり道』とか? 『幸福』や『これがロシアだ!』は何度も観たよなあ。あーあ、あそこでうじゃうじゃいたひとたちっていまなにしてんのかなあ。わざわざ神奈川から原付飛ばして観にきてた学生とか就職したのかなあ。『出発』をネタにナンパしてたやつとかいまどうしているのだろう? なんで「アトム・エゴヤン」特集上映観にいかなかったのかなあ。あーあ、『アララトの聖母』は名古屋の名演小ホールで観たんだっけかなあ。なんか時間がたつにつれその恐ろしさがジワジワ押し寄せてきたものだなあ。しばらく映画怖くて観れなかったものなあ。『コンタクト・キラー』は観てしまったけど。
 淀川長治の講演会も行ったんだっけなあ。これも偶然の産物で大隈講堂大ホールであったんだろうかなあ。そもそも金井美恵子の『圧殺の森』のイヴェントで行ったんだっけ? 高橋源一郎もいたなあ。「いつ『ゴヂラ』はでるんですかあ?」なんて質問しなくてほんとよかった! 
 作家のへんなうら話もさんざん聞いたんだっけ。なんだったんだろうなあ。すべて夢幻のごとくなり…… 全部なかったことになんか到底できませんよねえ…… ナンマンダブ、ナンマンダブ……
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「おおきくなったらデリダみたいになって地球を救うんだ!」っていうような子供たちがうまれてくるためだけに生きていきたいですよ、ほんと。『アタラント号』や『とべない沈黙』を観て嗚咽が止まらなかった、あのころのオレは、いまどうしているんだろうか?

 うえの文におおよそ関係していたMくんが、『安吾の挑戦状』に載っているみたい。ぼくは未だに無職無収入……東京にいた5年間でつぎ込んだ1000万円のうち、1年目は稼ぎが500円、2年目は5000円だったなあ。あはは。3、4がなくて5年目くらいでも年収50万円くらいだったような…… あとはみなさまのありがたーい税金にてまかないさせて頂きましたうえ、ここに、こころより御礼申し上げる次第でごさいます。ほんとうにありがとうございました。と、いったところで、なんにもフィードバックできていないこのありさま、そういったことで、1年目にはM君同伴のもと、中谷彰宏の著作を火刑に処しましたうえ、一応は、そこはそれなりの覚悟のようなものはあったのではありますがね、へへ。

 30手前のシネフィルの無残な現在をドキュメントでお送りいたしました。あしからず。

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 とーちゃん、かーちゃん、上司の清水さん! 21歳のとき正社員蹴って東京の下降生活者になったぼくを、もう働くことができないからだでかえってきたぼくを、どうか、おゆるしください。中学生の時の夢、国家公務員になることはもうできそうにありません、小学生のときの夢、漫画家になることもどうやら無理みたいです、高校生のときのゆめ特車2課にはいることはもちろんのこと! どうやら年少時の頃の夢、ねずみ男になるという夢しかかないそうにありませんで! あしからず!