福永さん、出番ですよ!

 桃井かおりアンナ・カリーナで、石野真子ソフィー・マルソーで、ジュリーがジャン・ピエール・レオーで、ショーケンジャン・ポール・ベルモンドなのかなあ。そうしたら長谷川和彦トリュフォーで、ゴダール鈴木清順? わかんないけど。でも邦画で、まあ、小津・黒澤・溝口っていう大巨匠は抜きにして考えてパーフェクトな映画っていったら『裏切りの季節』かなあ。まあ、完璧だからいいってことではないんだろうけど、中平康とか? 才能がないっていうのもひとつの才能ですよねえ。大島渚とか? 
 まあ、いいや。「座長と道化の登場」(「文学界」04年12月号)未だ読めず。とにかく福永信は特別な存在だ。21世紀の日本文学のはじまりは彼にかかっているといっても過言ではない。いうなれば21世紀の漱石だ。むかしは高速でグングン読み進めていたが、最近は読むのが怖い。ストリートノべル大賞にも応募したなあ。落ちたけど。あの原稿いまどうなってるのかな。原本は引越しを重ねるうちにいつのまにか消失…… でもリトル・モアでも焼却処分だろうけどさ。まあ、前編ほどんど引用のありがちな頭でっかち観念爆発系のしょーもない小説でしたけどね、実際。
 そういえば「リトルモア」で阿部×福永の対談とかあったなあ。なんで買わなかったのかなあ。ほとんど立ち読みだったからなあ。『批評空間』に連載してた「プラスティック・ソウル」も全部立ち読みだったなあ。「公爵夫人邸の午後のパーティー」とかも新宿の紀伊国屋で全部立ち読みしたなあ。いい思い出だなあ。いや〜。

「文芸」でも平野×黒田晶×福永の対論があったなあ。なんで買わなかったのかなあ。なんかもーどーでもいーやっていう感じがあったのはたしかだよね。もう彼らにまかしとけばいいやっていう? それで引きこもり生活ですよ。バイトしてても学校いってても、精神的引きこもりってありますよねえ。いまじゃあ、全国民がそういう感じなんじゃないですか? 

 なんか『希望の国エクソダス』みないだなあ。でもほんと出版系が不調とかいってるのって、まあ、ケインズの近代経済の大失敗ってのもあるのでしょうが、ただたんに雑誌がつまんなくなったんじゃないですかね。それもこれも人材カットするからでしょうけど、ああ悪循環。

 でも「EYESCREAM」とかはやってる編集の中にはそりゃあ馬鹿な人もいるだろうけど、毎月買いたいなっておもわせますよねえ。「CV」とか? でも、どんなひとでも馬鹿で才能がないっていうか、生きる才能がないひとが文章とか映像とかで、生活できたらなあなんていう、ひどく生命の根幹にかかわる倒錯的な病に犯されているとおもいますがね。全部栗本慎一郎の受け売りですがね。あーあ、クリシンいまなにやってんのかな。リハビリしてんのか。「蕩変木三号」ってすごいですよね。ぼくも一時期はヘゲモニーに押されてクリシンを小ばかにしてたこともありましたけど、かれは偉大ですよ! ポランニー兄弟ですよ! あー、昨日からやっているNHKの「世界遺産ドナウ」みたいな番組、彼も観ているのですかね。クリシン、カムバッーク! ついでにマーシーもカンバッーク! 才能がある人が生き抜くい世の中にドロップキッーク! ぎゃー。
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 法律がひとを殺す。遡及効。新カント派の悪しき歴史認識。一般でなく個別の歴史をみよ!

 ジャン・ヴィゴ山中貞雄沢村栄治山中貞雄
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 なんか昔が懐かしいなあ。名古屋大学の南部生協にさ、『アカシア』買いに行ってさ、さんざん迷った末に『ソドムの映画市』とか買ったなあ。おかげで『アカシア』いまでも読んでないけどね。がはははは。あー、懐かしい。アテネ・フランセで『黒い神々』観たとき、中原昌也がお客でいたなあ。あーあ。なんかすごい眼光で睨みつけられた記憶があるけど、あれはなんだったんだろうか? 中上健次寺山修司とかもニアミスしてたのかなあ。谷崎潤一郎坂口安吾とかも? 巨泉も? そんなこといったら坂本竜馬だってあの坂下ったり上がったりしてたんでしょうかね。がっくし。
 渋谷のパルコブックセンターの洋書コーナーに中原が佇んでたなあ。懐かしいなあ。あんとき22歳くらいか…… いい思い出だなあ。あのとき一緒にいたひとはいまごろパリ大学でなにやってんのかなあ。シネマテークとかいってんのかなあ。デカルトパスカルの墓参りでもしているのかあ。ドゥ・マゴでお茶した後に? 前に? まー、いいや。海外なんかいきたかねーよ!  
 さ〜て、そろそろ寝ようかしらね、ネットは広大だわ。結局、福永新作読めず……